2003年公開の映画『黄泉の国』で主題歌『月のしずく』で大ヒットを記録した歌手といえば柴咲コウさんですね!
現在は歌手や女優、実業家としても活躍しています。
そんな柴咲コウさんですが、家族構成は3人だと言われています。
母親はロシア人とも言われていますがどうなんでしょうか?
また幼い頃は北海道の礼文島で極貧生活だったとも言われています。
調べて分かったことをお伝えしますね!
柴咲コウの家族構成は3人
柴咲コウさんの家族構成は父親、母親と柴咲コウさんの3人であることが分かりました。
ここでは柴咲コウさんの家族構成について一人ずつご紹介します。
柴咲コウの家族構成①:父親
柴咲コウさんの父親は義孝さんということが分かりました。
以前柴咲コウさんが出演した番組『A-studio』で父親を取材する内容が放送されています。
柴咲コウさんの父親の義孝さんは北海道旭川市出身です。
そんな父親ですが東京でできた友達は鶴瓶さんだと言われています。
柴咲さんは、鶴瓶さんについて「なぜかウチの父と飲み友達になってくれたというのが、私の中では結構仰天でした」と語る。芸能界をまったく知らない柴咲さんの父親との会話の中身に出演者から注目が集まり、鶴瓶さんは「みんな気になるの?」とご満悦。
引用元:MANTAN WEB
これには柴咲コウさんもびっくりでしょうね!
柴咲コウさんの父親と鶴瓶さんが知り合ったきっかけについても分かりました。
よく都心の繁華街の芸能人も行くような店で飲んでいたようで、そこで鶴瓶と知り合ったようだ。
引用元:@niftyニュース
柴咲コウさんの父親はよく東京の街を飲み歩いていたそうですね!
行くお店も芸能人がよく行くお店だったことからたまたま鶴瓶さんと出会い意気投合したようです。
今となっては鶴瓶さんと父親が飲んでいるところに柴咲コウさんが参加することもあるそうですよ!
柴咲コウの家族構成②:母親
ここでは柴咲コウさんの母親についてお伝えします。
柴咲コウの母親はロシア人?
柴咲コウさんの母親はロシア人だと言われていますが本当なのでしょうか?
調べた結果、柴咲コウさんの母親は日本とロシアのハーフで日本人だったということが分かりました。
柴咲コウさんの母親は北海道北部の礼文島という日本で一番ロシアに近い島出身の人なんです。
柴咲コウさんの祖父と祖母が日本人とロシア人の国際結婚をして生まれてきたのが柴咲コウさんの母親なんで歴とした日本人です。
ですが、さすが柴咲コウさんはクオーターなだけあって目鼻立ちがはっきりして美人ですよね!
美人なDNAも母親からしっかりと受け継いでいるのかもしれませんね!
柴咲コウの母親は乳がんだった
柴咲コウさんの母親は乳がんを患い、2003年に58歳という若さで他界されていることが分かりました。
母親が58歳の時、柴咲コウさんは19歳の年齢だったと言われています。
19歳から父親との二人暮らしがスタートしたとインタビューで答えています。
19歳から始まった父親との「2人暮らし」では、悲しみを紛らわすために飼うことにした2匹の保護猫が潤滑油となったとも話す。
引用元:毎日キレイ
未成年で母親を亡くす経験をしたということですが、悲しく辛かったことでしょう。
それでも芸能界で逞しく頑張ってこられた柴咲コウさんを母親も誇らしく思うでしょうね!
柴咲コウの幼少期は礼文島だった
柴咲コウさんの幼少期は礼文島に住んでいたことが分かりました。
柴咲コウさんの礼文島での生活についてもお伝えしますね。
柴咲コウの幼少期は礼文島だった
柴咲コウさんの幼少期は礼文島に住んでいたことが分かりました。
礼文島に幼少期の柴咲コウさんが住んでいた理由は母親の出身地が礼文島だからです。
◎礼文島
礼文島は日本最北端の離島で、冷涼な気候により海抜0メートル地帯から200種類以上の高山植物が咲き乱れていることもあり別名”花の浮島”と呼ばれています。
美しい自然が魅力なのが礼文島ですね!
自然豊かな場所で柴咲コウさんは幼少期を過ごされたと考えると北海道移住計画をしている柴咲コウさんの元となったのかもしれませんね!
柴咲コウの幼少期は極貧生活だった
柴咲コウさんの幼少期は極貧生活だったと言われています。
柴咲コウさんは礼文島で生活をしていましたが、元々が貧しい家庭でした。
極貧生活を脱出するために家族で上京し六畳二間の部屋を借りて家族3人で生活していたと言われています。
柴咲コウさんは豊島区立要町小学校に入学しているので豊島区に当時住んでいたということが分かります。
家族全員で上京するも貧乏状態は改善されなかったそうです。
柴咲コウさんは14歳の頃から芸能スカウトを受けていますが、父親が猛反対したそうです。
ですが高校入学してから「経済的な理由」で芸能界に挑戦しています。
柴咲コウさんとしては家族のことを考えての芸能界挑戦だったんでしょうね!
今となっては人生のターニングポイントだった良い決断をしたといえますね!
柴咲コウの幼少期の将来の夢は長距離ドライバー
柴咲コウさんの小さい頃の将来の夢は「長距離ドライバー」だったと言われています。
ちなみに私は、ずっと誰かと一緒にいるのが苦手なので、長距離トラックの運転手になりたかったですね。ひとりでいる時間が長いし、きちんとスタートとゴールがあって、荷物を運ぶという目的もはっきりしている。だから、自分には合うと思っていました。
引用元:とらばーゆ
柴咲コウさんは幼い頃、内向的な性格だったと話しています。
幼い頃から自分としっかりと向き合えていたからこそ、将来の夢が現実的な当時の自分に合うと感じる長距離ドライバーだったんでしょうね!
2022年には映画監督にも初挑戦をした柴咲コウさん。
今後も様々なことに挑戦していくと思いますので楽しみですね!